幕末動乱の最中、アメリカ・ロシアなどの軍艦の来航を見た幕府が、摂海(大阪湾)防備のために
設けた砲台で、国指定の史跡です。
1863年(文久3)着工、完成は1866年(慶応2)。内径約17m、高さ12m、石造三層の円堡で2階木造、
側面に砲眼11個と窓1個を開き、大砲2門をすえて、筒口を四方に向ける装備でした。
その後、空砲試射に失敗(砲煙が堡内に立ちこめ、実用に向かなかった)。使用に至らずして
明治維新を迎えました。
1884年(明治17)、火災により内部の木造部分を焼失。1934年(昭和9)の室戸台風の被害の後、屋根の
復元工事を行い、1974年(昭和49)から1975年(昭和50)にわたって大修理、内部は鉄骨で補強、外壁は
築造当時に復原されました。
同様の砲台は他に和田岬(現在修復工事中)、今津(現在は碑が残るのみ)、舞子(こちらも碑のみ)
などにも設けられました。
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